院長 阪藤 賢一 さかとう けんいち

経歴

  • 大阪商業大学経営学部 卒業
  • 明治東洋医療専門学校 第一柔整科 卒業

資格

  • 柔道整復師
  • 介護支援専門員(ケアマネージャー)
  • キネシオテーピング指導員

受賞歴

  • 第二回大阪市あきないグランプリ 優秀賞 「地域貢献部門」さかとう整骨院
柔道整復師免許
炭酸整体認定書
あきないグランプリ優秀賞

My History

大阪府門真市に5人兄弟の長男として生まれる

阪藤賢一プロフィール
小学校3年より野球を始め、中学に入ってバレーボール部へ。3月生まれで身長が小さく、なかなかレギュラーにはなれず、あまり輝かしい成績はありません。運動が苦手というワケではなかったのですが、中の上くらいでした。運動ではなかなか勝てないが、その分勉強は頑張ってました。小さい頃から手先が器用な方で、絵を描いたり、模型(ガンプラ)を作ったりとか、どちらかと言えば副教科が好きでした。
本屋が好きでマンガから始まっていますが、偉人伝や歴史モノ、色んな本をよく読んでいた少年時代でした。

結局運動に関して、プレーヤーとしては全くいい思い出はなく、でも野球もバレーボールも上手くなる為には、小さい体ではどうしたらいいのか?とはよく考えていました。そんな時よく本屋のスポーツコーナーに行っては、トレーニングの方法、人体の仕組みの本なんかをたくさん読んでいました。そこには体を大きくする為の方法、スポーツをするのに効率良く体を動かす方法、ケガをしない心構え、応急処置。どうすれば他の選手に勝てるかの戦略など。頭でっかちの知識ばかり詰め込んでいました。
阪藤賢一プロフィール

大学卒業後、スポーツウェアメーカーに就職

高校、大学を経てスポーツ好きからスポーツウェアメーカーに入社し、ウィンター事業部でスキーやスノボのウェアの営業担当することに。
サーフィンもやってました
小浜海岸にて阪藤賢一プロフィール

入社後は1年目から大阪で最大級のスポーツ店の担当になり、週に3~4日店に出向き、土日は販売応援。月曜朝一番に行って他社の売り点分析までやってました。おかげで3年目には会社での単店舗売り上げ最高を記録する事ができました。

阪藤賢一プロフィール
1995年頃 会社員時代
阪藤賢一プロフィール
プロスノーボーダーと(1995年頃 会社員時代)
阪藤賢一プロフィール
長野オリンピック前年にプレ大会でのアメリカ代表と(1997年頃 会社員時代)
阪藤賢一プロフィール
ラスベガスのスノーボード展示会にて(1997年頃 会社員時代)

しかし、この頃をピークに市場はスキーからスノボへとトレンドの変化もあって、売上も伸びなくなってきたんです。
「この商品は売れないかもな…」と思っていても会社の売上目標がありますから、無理やりではないですが、お店に何とか納得してもらって商品を買ってもらう。でも結果は予想通り、在庫として残ってしまい、店の利益も減り、倒産する取引先も出てきました。会社が売上を上げて生き残って行く為には仕方ないと言い聞かせて…。当然、店の人の信頼を失いますよね。そんな営業をしている自分にだんだん疑問を持ちだしたんです。

体力的にも限界で、「今は独身で実家で家族のサポートがあるので続けてこれたけど、自分が家族を持った時、こんな生活は続かないな…」と考えました。

医療の道を志したきっかけ

普通に進学し、普通に就職し長男としてあとの弟達が追いかけて来れる様に、真面目にそつなくここまでは進んできました。
就職活動時にはそんな事まで考えなかったのですが、こんな歳になって改めて真剣に考えました。

仕事ってなんだろう?
自分も相手もお互いがHAPPYになれるような仕事ってないのかな?

自分が頑張って勉強したり、努力した結果が、相手に喜ばれ、その事でまた自身も嬉しく思える。
純粋にそんな仕事がないかと考えていく内に、自分がこの5年間しんどくなったり体調を崩したり弱くなった時に支えてくれた人・・・両親、兄弟、親戚、友人。今度は自分がそんなみんなを助けてあげられる、そんな仕事に就きたいと考えるようになってきて、医療の道がそうじゃないかと考えるようになりました。

その頃読んだ本に「人間には元々、自分の体を治す機能が備わっている」「自然こそが最良の医者であり医者は患者をよく観察し、その治癒する事を妨げている要因を取り除く事で体は自身で治癒する」と書いてありました。

「トキみたいな治療家になりたい」

そういえば小学生の頃、よく読んでいたマンガに「北斗の拳」というマンガがあって、中でもトキに憧れていました。
拳法の達人で、その拳法を相手を倒す為にだけ使うのではなく、劇中で病気やけがの子供や老人を指先ひとつでたちまち治してしまうのです。とても優しくて、それでいてとても強い。トキみたいな治療家になりたいなと子供ながら思っていました。

そこから東洋医学に関心を持つようになり、これは一生をかけてでも勉強し自分の周りの人、お世話になった人達を助けてあげたいと考える様になりました。

退職を決意。整骨院での修業の道へ

会社退職後3ヶ月程、整骨院に入るまでにマラソンに挑戦。脱サラして整骨院へ修業入りした際、当時の転職雑誌B-ingに掲載されました。
阪藤賢一マラソン
阪藤賢一マラソン
転職雑誌に掲載
転職雑誌に掲載

ほどなく退職を決意し、会社の後輩の知人が鍼灸師であった為、その縁で大阪市内の整骨院で修行する事に。今では希少かもですが、当時は院のあるマンションの上に住み込みで、そこの院はそこそこ地域でも流行っていた院だったので、周りを歩けば患者さんばかりに会うし、休み日もプライベートもない様な状態でしたね。

毎日朝7時から準備して午前中仕事し、昼から夕方まで学校に行き、夕方帰ってきて夜は22時頃まで仕事する。それが終わったら部屋に帰って2時まで勉強する。試験期間なんて徹夜に近い状態が何日も続きました。そんな毎日を過ごしていましたが、一緒に修行し、励ましあって頑張ってきた仲間とは今でも一生の良い友です。
分院長時代
修行整骨院 分院院長時代
分院長時代
修行整骨院 分院院長時代

念願の開業

少し遠回りした治療家人生ですが、本院で5年、分院の院長を5年、計10年の修行期間を経て、この世界に入る時から決めていた様に大阪の都島区で念願の開業まで辿りつきました。開業当初は不安だらけであったのですが、今までやってきた事をやっていけば患者さんはついてきてくれると信じ、おかげ様で少しづつ患者さんも増えてきて、スタッフも雇い、前の院以上には流行る様にはなってきました。

さかとう整骨院 開業当初 2007年頃
さかとう整骨院 開業当初 2007年頃
日々の勉強の知識と、毎日色んな多く患者さんを触っていくうちに、自分の手がそれが正常な状態なのか異常な状態なのか感じれる不思議な感覚が身についてきました。それって最初は何か違和感を感じるんです。それでその違和感はなんなんだろうと考える。その違和感を起こしている原因は何なんだろうと考える。答えの見つからない場合もまだまだあります。でもこの感覚が私がやっと治療家の入り口に入ってこれたんだなと感じています。
2013、2014年頃 整骨院
2013、2014年頃 整骨院
2013、2014年頃 整骨院

開業してから、思考錯誤し、これまでも多くの人に支えられてここまで来ました。自分自身まだまだ発展途上だと思って頑張っています。これからも今まで以上に多くの人の支えになり続けられたらと考えています。